明治17年10月 | 開業医組合設置法に基づき島原医会設立 |
明治18年3月 | 島原医会規則制定、眞部正敏会長就任 |
明治18年10月 | 吉富禎次郎会長就任、産婆心得書作成 |
明治19年10月 | 公立島原病院で産婆の講習実施 |
明治19年12月 | 梅毒予防法に附随して無料施療券3600枚発行 |
明治20年5月 | 県達しの清潔法を基に一般住民に知らすための簡易な清潔法を作成 |
明治21年11月 | 小児養育法作成 |
明治24年11月 | 南高来郡における地方病を選定 |
明治26年 | 南高来郡地方病探究委員を設置 |
明治26年 | 各町村に衛生組合を設立 |
明治32年4月 | 本多清人会長就任 |
明治34年10月 | 市川公也会長就任 |
明治36年6月 | 南高助産婦・看護婦養成所開校 |
明治39年10月 | 医師法の施行 第8条 医師は医師会を設立することを得 |
明治39年11月 | 医師会規則公布 |
明治40年1月 | 島原医会を解散し南高来郡医師会設立 |
明治40年6月 | 南高来郡医師会会則制定 |
明治40年10月 | 本多清人会長就任 |
大正5年5月 | 南高来郡衛生会設立 |
大正6年10月 | 宮田亮太郎会長就任 |
大正8年9月 | 医師法並びに医師会法の改正 |
大正9年1月 | 旧南高来郡医師会解散し新南高来郡医師会設立 |
大正9年4月 | 市川公也会長就任 |
大正11年3月 | 学校医会設立 |
大正11年4月 | 健康保険法公布 |
大正13年 | 社会奉仕の一環として役場内に「衛生相談所」を設置 |
大正15年12月 | 南高来郡医師会健康保険規定制定 |
昭和2年 | 口之津産婆学校開設 |
昭和11年4月 | 宮田亮太郎会長就任 |
昭和13年 | 国民健康保険法制定 |
昭和15年4月 | 島原町、杉谷村、安中村の合併で島原市制の施行に伴い 南高来郡医師会は、医師会令第28条により郡医師会と市医師会に分離 |
昭和15年4月 | 山﨑重長会長就任 |
昭和16年4月 | 新南高来郡医師会会則制定 |
昭和17年3月 | 長崎県医師会の南高支部として編成さる |
昭和21年4月 | 哲翁元邦会長就任 |
昭和22年4月 | 加藤栄八郎会長就任 |
昭和22年8月 | 県医師会南高支部を解散 |
昭和23年2月 | 社団法人南高来郡医師会誕生 |
昭和23年4月 | 奥村集会長就任 |
昭和26年4月 | 伊藤一生会長就任 |
昭和28年1月 | 島原衛生会を発展的に解消し学校保健会を結成 |
昭和28年4月 | 立石弥七郎会長就任 |
昭和31年4月 | 定款施行 |
昭和36年 | 国民皆保険の実現 |
昭和36年4月 | 栗原富士太郎会長就任 |
昭和41年4月 | 磯野駿会長就任 |
昭和45年4月 | 前田信良会長就任 |
昭和49年4月 | 副島泰然会長就任 |
昭和53年5月 | 定款施行細則(会長選出法) |
昭和59年4月 | 天野力之助会長就任 |
平成4年4月 | 菅幸哉会長就任 |
平成9年4月 | 地域産業保健センター事業開設 |
平成12年4月 | 松藤和靖会長就任 |
平成13年1月 | 南高来郡医師会ホームページ開設 |
平成16年4月 | 泉川欣一会長就任 |
平成18年4月 | 市町村合併に伴い名称を「社団法人 南高医師会」と改名し 区域を雲仙市及び南島原市の2市となる。 |
平成24年4月 | 馬場惠介会長就任 |
平成25年4月 | 名称を「一般社団法人 南高医師会」と改名 |
明治17年10月 | 開業医組合設置法に基づき島原医会設立 |
明治18年3月 | 島原医会規則制定、眞部正敏会長就任 |
明治18年10月 | 吉富禎次郎会長就任、産婆心得書作成 |
明治19年10月 | 公立島原病院で産婆の講習実施 |
明治19年12月 | 梅毒予防法に附随して無料施療券3600枚発行 |
明治20年5月 | 県達しの清潔法を基に一般住民に知らすための簡易な清潔法を作成 |
明治21年11月 | 小児養育法作成 |
明治24年11月 | 南高来郡における地方病を選定 |
明治26年 | 南高来郡地方病探究委員を設置 |
明治26年 | 各町村に衛生組合を設立 |
明治32年4月 | 本多清人会長就任 |
明治34年10月 | 市川公也会長就任 |
明治36年6月 | 南高助産婦・看護婦養成所開校 |
明治39年10月 | 医師法の施行 第8条 医師は医師会を設立することを得 |
明治39年11月 | 医師会規則公布 |
明治40年1月 | 島原医会を解散し南高来郡医師会設立 |
明治40年6月 | 南高来郡医師会会則制定 |
明治40年10月 | 本多清人会長就任 |